阿蘇市一の宮町中通に分布する古墳群で、前方後円墳が2基、円墳が8基、平坦な水田の中にあります。かつては15基以上あったといわれており、4世紀末から5世紀初めごろに築造されました。「日本書紀」などに登場する阿蘇県主(あそのあがたぬし)や阿蘇国造(あそのくにのみやつこ)として登場する、阿蘇地域を支配した阿蘇君(あそのきみ)一族の墓といわれています。
中でも、長目塚(ながめづか)古墳は熊本県最大級の前方後円墳です。度重なる東岳川(ひがしたけがわ)による水害の対策として、前方部を切り通す河川改修が行われることが決まり、昭和24(1949)年に県内初となる開発に伴う発掘調査が行われました。
調査の結果、墳丘部からは須恵器(すえき)や土師器(はじき)、埴輪(はにわ)が、頂上付近からは石室が発見されました。石室からは、成人女性と推定される人骨とともに多くの副葬品が出土し、壁面と床面にはベンガラと見られる赤色顔料が塗られていました。これらの特徴から、長目塚古墳は5世紀初めごろに築造されたと考えられます。
また、この発掘調査で出てきた出土品は、埋葬された人物が中央政権や県内他地域との関わりを持っていたことを示す良好な資料であることが認められ、平成31(2019)年3月26日に熊本県重要文化財に指定されました。
区分:熊本県指定記念物(史跡)
指定年月日:昭和34(1959)年12月8日